からだの調べ こころの詩 

神戸❁花隈~整体サロンからのつぶやき~

自己紹介

サロンオープンまでの経緯

整体師になった過程

長女を出産後、主人の仕事関係のちょっとした内職作業をしていた時に、右太もものしびれを発症。夜も目が覚める程の気持ち悪いしびれに、整形外科を受診するが腰には異常なしとの診断。先天性股関節脱臼の影響があるのではと指摘されたが、どちらにしろ整形外科では治らず。

近所のカイロプラクティックに2年程通い、しびれはほぼ治まる。そこで手技療法に興味を持ち、勉強し始める。紆余曲折があり、整体も取り入れた整骨院にて勤務を開始。そこの主流の手技は、大阪の故中野不二生先生が開発された、骨盤呼吸調体を取り入れた療法であった。故中野先生の門下生の一番弟子、伊賀夕希子先生のご指導のもと施術に勤しんだ。

かけもちをすることになった理由

二人の子供を保育園に預けて近所の整骨院に勤めること5年半。一度は転職しようと本気で考えたものの、長女の体が弱かったことや、経験を無駄にしたくはないとの思いから、少し遠い場所で整骨院を開業された伊賀先生の門戸を叩いた。そこでますます勉強や施術に精を出すが、騙し騙しにしていた左腰の痛みがとうとう慢性痛になり、勤務時間を減らすはめに…。

しかし子供達は中学生になり、何かと出費がかさむ時…。熟考の末、他の職種とかけもち勤務を始める。子供のことで休むこともあるかもしれないために、絶対に自分の不調では休まないと、元来体力のない私自身の自己管理を徹底。ほとんどその意識の力だけで、バイク事故の怪我の時とインフルエンザに罹った時以外は、休まずに12年間の勤務を終えて、今年4月に独立。

ギックリ背中

12年間の勤務期間の一昨々年、10年目(トータル15年目強)の時にギックリ腰の様なギックリ背中になった。積年の疲れが中年になり出てきたのだろうが、それにしても重だるさが酷かった。どんな姿勢をしても右上背部の嫌な痛みがマシにならず、仰向けで患部を冷やすことだけが気持ち良かった。最低限の家事以外はほとんど寝て過ごすこと約2日、冷湿布を貼り替えつつ左手多用で仕事もなんとかこなした。他の人に触られるのも嫌だったし、鍼も痛いだけだった。放散痛は右腕や手の先まであるし、頸の動きで痛みが増したり…腕を前に持ってくるのもしんどかったので、バイクが苦痛でたまらなかった。少しマシになるのに1週間は必要だった。私はこの時、痛めているのは筋膜だと確信した。結局ほぼ良くなるのに、ゆうに2ヶ月はかかった。

トリガーポイント研究所

筋膜療法はオステオパシーの手技でだいぶ昔から知ってはいたが、勤務先の手技をまだまだ極めていなかったので、まともに勉強はしていなかった。しかしギックリ背中を患ったことで、筋膜の勉強がしたいという思いが強くなり、色々と情報収集を始める。

そこでトリガーポイント研究所を見つける。しかし勤務先の手技とか立場とか参加することを色々悩んでいたら、運悪く実父の具合が悪くなり参加を断念。翌年にまた機会があったものの…また実父の具合が悪くなり…またしても断念。そしてやっと昨年に遅ればせながら参加し、今に至っている。結局そこでの出会いが、長年同じところで

同じ仲間と過ごしてきた私にとっての刺激となり、間接的に独立を示唆させた。

成り行き

整骨院での担当患者さんが、辞めても続けて施術を受けられるように、開店を急ぐ必要があった。本当はもっと資金も心も知識も準備する期間を経てから開業したかった。なのでかけもち仕事をしながらのプレオープンとなり、中途半端な開店となってしまった。しかも長年、雇われて施術だけをすればいいという立場から、経営するという難しい立場となり、反省と勉強の毎日なのである。

和のお手当て会

トリガーポイント研究所で勉強し始めて、施術をしていて自分の身体を痛めるような手技はいかがかと思うようになった。もちろん効果もあるし、いい姿勢で施術出来ない自分が悪いのだが、気を付けて正そうとしてもなかなか難しい手技なのである。なのでこれからは私自身の身体も傷まないように、手技のいいとこどりをしようと思うようになった。

そんなある日、和のお手当て会と出会うことになる。たまたま自宅の近所で月一回のおさらいが出来るようだったので、軽い気持ちで大阪での勉強会へ参加してみると…長男を出産した助産院との繋がりのある助産婦さんがスタッフで来られていた。不思議なご縁を感じた。助産婦さんや妊婦さんも多い勉強会で、とても懐かしくてあたたかい気分になり、その後もおさらいを続けている。和の頭蓋仙骨療法というもので、トリガーポイント研究所の手技とは融合するが、従来の骨盤呼吸調体とは真逆の手技で、とても興味深く効果もあるので、別メニューとしてサロンメニューに取り入れた。

女性整体師として

私自身、出産や子育てを経て生活や考え方も変わり自己成長できたので、いかに女性の人生においてそれらが大きな影響を与えるのか、今になってわかった。今というのは子育てをほぼ終えかけた時期で、一生懸命子育てをしたその結果がわかるのが20年後くらいだった。今になって、もっとのびのび育ててあげたらよかったなと思うのだが、あとの祭りである。若かりし頃の自分は、その時はその時なりに必死に考えてやっていたのだろうと思う。

子育てしている時間なんてアッという間に過ぎてしまう。今は私が子育てした時代よりももっと色々と大変な気がする。子育て中のお母さんへの下手なアドバイスより、全然日常に関係ない知り合いとして、愚痴でも聞いてあげられたらいいなと思う。

こころとからだはひとつなので、気持ちがスッとすれば、からだも楽になる。お母さんに余裕があれば、子供にもご主人にもいい影響が出て、家庭円満だ。家庭円満なほうが健康にもいい。

女性整体師なので女性は安心して施術を受けられるが、女性専門にはしていない一番の理由は、整骨院での経験を考慮してのことである。

アンチエイジング

今、私は更年期の年齢に差しかかっている。更年期症状の重い軽いは、体質と性格による。身辺が色々と忙しくなり、心にもしんどい更年期時代はついつい自分のケアを怠りがちだ。自分が身心ともに健やかあるでほうが色々と上手くいくのに、ケアする時間がない。時間がないのではなく、心に余裕がないのだ。ちょっと深呼吸をしてみてこの先の人生を考えてみると、人生80年~90年ならこの先はまだ長い。年齢を重ねても、それなりに身体が動くように維持して、社会とのつながりを持ちたいものだ。

そして各年代によって体質は変わっていくもので、加齢と共に下降線をたどることはいた仕方ない事実ではある。しかしそのまま奈落に落ちていくのはごめんなので、私自身のケアを含めて、同年代のケアが出来ればと考えている。相乗効果もあるので、同年代とは一緒に加齢を乗り越えていきたい。

光線療法

長女が子供のころ体調を崩した時期があり、様々な治療法を試してみた。もちろん最初は病院での薬、そして手技、鍼、食事、波動…その中で一番効果があったのが、光線療法であった。詳しくはいつか載せたいとは思うが、簡単に、かなり昔からある療法だった。光、色、音…全て周波数で表される。私は専門家ではないので、ゆるくエネルギーだと解釈している。非科学的なものを全否定はしないが、これは非科学的な話ではない。そのエネルギーがどのように人間に作用するかは、まだまだ解明が進んでるとはいえない。ただ私の経験上で効果があった事実だけなのだが、施術に取り入れている。

周波数としての色光と色彩心理

前出の可視光線が色として見えるのは人間の眼の作りによるものだが、それが心理に影響しているのも否めない。また色=光が周波数を持っているのなら、細胞の塊でできている生物になんらかの影響はある。わかりやすい例では、遠赤外線や赤外線が身体をあたためる、という例だ。私は子供の頃から絵を描くことが好きで、特に色彩については惹かれる分野であり、勉強を深めていくうちに施術に取り入れたいと思うようになった。そこで光線療法と合わせてそのうちに取り入れることにした。

皮膚

色彩の勉強をすすめていく中で印象的だったのは、皮膚も色を感じるという話だった。近年皮膚についての研究がすすみ、外界とのバリヤ機構として以外にも例えば触覚について快・不快のホルモンを微量ながら生成するだとか、その感覚が無意識に刷り込まれることもあるそうだ。私のサロンでは和のお手当てでの触感や、色彩を取り入れたオイルトリートメントで対応することにした。人は見た目の年齢が身体の状態を表していると言われ始めた。お化粧や服装だけではなく、素肌や姿勢、動作や声、全てで若々しくいたいものだ。

最後に

コンピュータ社会になり、人間同士のふれあいが希薄になった。それに伴って昔はなかった様々な病気や症状が現れている。人間も動物だというのが自然だ。古き良き時代の人間らしい交流をしてきたいと願う。